コミュ障ババアがプライバシーを語る。本当に人が怖いの・・
昔、中国にいた頃、よくタクシーを利用した。
運転手さんに私が日本人だとわかると、
必ずこういう会話が起こった。
「お前、日本人か?」
「そうだよ」
「学生か?」
「そうだよ」
「それじゃぁ、学費はいくらだ?」
(いきなりー!)
「〇元くらいかな…」
「そりゃ、高い!」
「じゃあ、寮の家賃は?」
「お前のオヤジの収入は?」
「お前の実家の家賃は?」
永遠にお金の質問が続くのだ!
(お前に関係ねぇー!)
なんで、こんなプライバシー中のプライバシーの質問をされなくては、
ならないのだ。
「そういう質問は、失礼だから、やめてくれ!」
と言って、やっと、この質問地獄から解放されるが、
運転手さんには、なんで私が怒っているか、わからない。
アメリカに来てからも、中国系の人から、
やはりコレ系の質問をされる。
「家は借家か?持ち家か?」
「仕事はしていないのか?なぜだ?」
「旦那の給料でやっていけるのか?旦那は金持ちか?」
(うるさいー!)
(余計な・お・世・話!)
私はものすごい不愉快なのだが、彼らには、悪気はないのだ。
日本にいる時は、さすがに他人には、
プライベートなことを詮索されることはなかった。
が、しかーし
田舎のせいか、親戚の干渉には、辟易させられた。
いろいろ事情があって、ボロボロになって、
中国にある会社をやめて、日本に戻ってきた。
その後、すぐ祖父の法事があった。
その時に、何年もあっていなかった従姉に、
「なんで仕事をやめたの!やめるべきじゃなかったでしょ!」
「これから、どうするの? そんな年で!」
と法事そっちのけで、詰問された。
涙が出た。
天寿をまっとうした祖父の法事で、泣いているのは、私だけだった。
「なんで、関係ないあの人に、ここまで言われるの。」
「なんで、あの人は、私の心に土足で入ってくるの。」
と号泣している私に、母も姉も
「心配してくれているんじゃないの」
と私の方に問題があるように言われた。
従姉は、もしかしたら私の幸せを願って、
言ってくれたのかもしれない。
でも、私は、おもいきり不幸のどん底に突き落とされた。
こういうことは、田舎社会では、多い。
進学、結婚、就職・・・
「そりぁ、おかしい」
と頼んでもいないのに、誰かか口を出してくる。
親も親戚も私のために言ってくれるのだろう、と我慢していた。
アメリカに来て驚いたことは、
たとえ家族、親戚間でも、
絶対に相手のプライバシーに入らないことだ。
私の知り合いに30歳半ば、
大学を中退した後、
一度も仕事らしい仕事をしたことがない人がいた。
その人は、ずっと、長年一緒に暮らしている彼女の稼ぎで、
生活していた。
でもその人は、家族からそんな生活を責められることもなく、
彼の母親は
「私は、息子を誇りに思っている」
と言い切るのだ。
(お、おう・・・)
彼のお兄さんに聞いたことがある。
「なぜ、誰も彼に『働け』って言わないの?」
そうしたら、
「Micchieeは、アルコール依存症って知っているか?」
「知っているけど・・・」
「Micchieeは、アル中に『酒を飲むな』って言うか?」
それを聞いて、妙に納得してしまった。
納得
他人が、他人の人生を変えることなんてできない。
例え、親子であってもだ!
例え自分にとって不本意であっても、
家族がそう決めたのなら、受け入れるしかない。
他人の人生の責任なんて取れないのだから。
これこそが、自立しあった健全な関係なんだな、
って認識させられた。
他人はもちろん、身内であっても
個人の領域に入っていかない!
これって、本当に大事だと思う。
現在の私の感想・・・
アメリカでの、こうやって距離を保ってくれる人間関係は、
私のような人間には、有難かった。
そう、これから何があろうと、それは私の責任!
自業自得なのだ!
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