ババア、英語もちっとも話せず、アメリカに来た!
私が初めてアメリカに来たのは、1999年10月末だった。
それまでワシントン州とワシントンD.C の違いもわからず、
カリフォルニアとカリフラワーの違いもわからない程の
超アメリカ音痴だった。
(いくらなんでもそれはないか!)
又、私はusuallyを「ゆずゆありー」と読んでいたほどの
典型的な受験英語の犠牲者でもあった。
(ってさすがにそれは私だけか)
学生時代、英語は大の苦手、いや、そんなもんじゃなく、
英語恐怖症といっても過言ではなかった。
そのため、英語は人一倍できず、
町で外国の人に声を掛けられると
「お~お~」と奇声をあげ、
顔が泣き笑いでひきつった。
(本当に怖がらせてごめんなさい)
最後には、声をかけられないように、
外国人の姿が遠くに見えただけで、逃げていた。
そのくせ、異国への憧れはあった。
彼らの金髪の髪は、
彼らの国の果てしなく続く麦畑を思わせ、
彼らの青い目は、
彼らの国のかなた地平線続く無限の空を想像させた。
はぁ~.(ってキモイ)
英語でそんな彼らばんばん会話ができる日本人を見て、
羨ましくて仕方なかった。
自分とはかけ離れた別世界だった。
はぁ~。羨ましい。
こんな私がアメリカに来た。
本当によく来れたもんだと思う。
XXXXに着いたとき、(ここは私が今も住んでいるアメリカの都市である)
飛行機はXXXX上空まで来ていながら、
霧のために着陸できなかった。
一時間ほど旋回した後、燃料が足りなくなって近くの都市に一時着陸した。
そこで数時間過ごして、
XXXXの空港にやっと着陸した時には、
XXXXに来てから6時間が経過していた。
その到着時のアクシデントは、
その後の私の前途を暗示しているようで憂鬱にさせられた。
(で、その通りだったわけだが)
空港には旅行代理店の人が迎えに来てくれていた。
(長いこと待っていてくれてありがとう)
それから、私がお世話になるホームステイの家に連れて行ってくれた。
初めてのホームステイ先は5人もこどもがいるカソリックの家であった。
彼らに
「How are you?」
と聞かれてもすぐ
「Fine, Thank you.」
と答えられずに
「Hi」
としか返事ができない私!
ク~~~涙!
子供たちとも会話ができない私。
ひとりぼっち。
その家にいた犬だけが私の心を和らげてくれた。
そう私たちはお互い英語ができない者どうし、まさに同志!だった。
私たちは
「ワン!」
「お~よしよし、お前もそれくらいしか話せないのか」
「バウ!」
「お~私を裏切って英語をはなしやがって」
と会話?したものだった…か、悲しすぎる!
現在の私の感想・・・
20年たっても英語力は、この時とたいして変わりません。
引きこもっていると、本当、時間の流れが早い。
この時から、かれこれ20年たつのか・・・
怖!
「面白かったかも?」とおもってくださったら、
ポチと押してくださると大変うれしいです。