デブスが叫ぶ!デブの国、アメリカ万歳!
まだ、私がアメリカに来るずっと前、父がアメリカ旅行に行った。
その旅行から帰ってきた、父の第一声は、
「俺は、アメリカじゃ、ちっともデブじゃなかったぞ」
だった。
ウエストが1メートルもあり、すぐ、ズボンの股に穴を開けてしまう屈辱が晴
れたのであろう。
父のお土産話は、グランドキャニオンでもなく、ラスベガスでもなく、
いかにアメリカ人がデブであるか・・・に尽きていた。
私もアメリカにやってきて・・・
あの時の父の歓喜がよくわかる。
日本にいた時、
「デブに人権はあるのだろうか?」
と真剣?に考えたことがある。
なんといっても問題はデブにつけられるあだ名だ!(本当か?)
- 目の細いデブ=朝潮
- 目の大きいデブ=小錦
デブには、このふたつのあだ名しかない!
もっと、デブだって、個性にあふれているんだよ!
そして、なんといっても・・・
日本で服を買うときの、あの屈辱感・・・
MとL しかなく、Lが入らない!
「人間失格」と言われんばかり・・・
冷たい地の底に落ちてしまったような閉塞感・・・
洋梨どころか、フラスコみたいな体系の私。
なによりも辛いのがズボンを探すこと。
中国の雑技団に、オッサンが2~3歳の女の子の服を着てみせる、という
笑えるというより、なんか悲しくなる芸があるのだが、
日本の試着室での私は、まさにこれ!
あのオッサン、華やかな雑技団の芸が披露されている中で、
「自分は何をやっているんだろう」
と悲しくなる時もあるだろう。
試着室の私もいつも悲しい。
体を限界まで曲げて、
息を殺して、
肉を押し込める。
あぁ苦しい~。服が破れそう~。
そして、苦難の末、やっと着れたとしても、
鏡に映っているのは、ものすごく滑稽な姿をした自分。
苦労した達成感などなく、
地の底に落ちていくような敗北感。
着たはいいが、果たして、無事に脱ぐことはできるのか?
ズボンを買おうとするたびに繰り返される、この拷問・・・
それがここアメリカでは、サイズがず~と先まである。
開けた未来!
ワァ~オ!XL, XXL, XXXL,この素晴らしいXは、どこまで続くの!
続いていくXの地平線を見ながら、
夏休みの初日を思い出す。
「あぁ、まだ1カ月も休みがあるんだ~」
なんとも言えない幸福感。
そう、これを人は「ゆとり」と呼ぶのね。
そして、私が選ぶのは、なんと!M!
私は、アメリカでは、M サイズなのですよ~!
「やだぁ、私 M~!」
と周りの見せびらかしながら?買う私。
アメリカ!大好き!私に「人権」を与えてくれて、ありがとう!
しかし、服は買えたが、
アメリカにいても、やはり
「おまえはデブだ!」
「人間失格だ!」
と思い知られる時がある。
それは、大学で用意されている学生用のデスクが
椅子と小さい机がくっついたものだからだ。
これは窮屈だろう!
私は入れるが(ここ強調!)
中には、入れない人もいるだろう。
また、アミューズメントパークなどにある、
バーが着いた入口。
人がひとり入るたびにバーが動くあれ。
友達は、
「横を向けば、いいんだよ」
というが、
横だろうが、縦だろうが、太さは変わらないんだよー!
私はもちろん入れるが(再度、強調!)
あれは、絶対、デブに意地悪をしているだろう!
それにしても、アメリカは天国!
どんなぽっちゃりも
腕を出し、
足を出し、
へそも出す!
すごいぞ!すごすぎるぞ!
デブの楽園、アメリカに万歳!
今の私の感想・・・
このエッセイの一番の目玉はなんといっても、
目の細いデブ=朝潮
でしょう。ここ今だったら、絶対
目の細いデブ=朝青龍
でしょう。やはり、時代を感じるね~。
って、そこかよ!
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