ババアにもあった、うら若き時代の恥ずかしい話(っていうか恥だけの人生だけど)
アメリカに来たばかりの頃、小さい語学学校に通っていた。
ある日、「恥ずかしい話」を披露し合おう、ということになった。
実は、私には、思い出すと叫ばずにはいられない「恥ずかしい話」がある。
私の実家は、自営業をしていて、繁忙期には、住み込みで、アルバイトの大学生を雇っていた。
その年は、3人の19歳!の男の子たちが我が家で働いてくれた。
我が家も20、18,16歳の年頃の姉妹で、(私は3番目)
自営業を手伝っていた。
繁忙期なので、休みなどなく、毎日朝2時から起きるような激務の中、
若い私たちは、だんだん仲良くなっていった。
ある日、一日だけ、休みをとることができた。
そこで、みんなで、近くの観光地に遊びに行った。
三人の中の一人の男の子が、妙に私の写真を撮りたがった。
どうやら、私に気があるらしい・・・?
そういう経験が皆無の私は、テンションがあがってしまい、
思いっきりぶりっ子をし始めた。
ぬいぐるみなど、かわいいものを見つけると
「きゃぁ、かわいい~」
と、高い声を出し、
ぶきっちょな上目遣いをしてみせたりした。
「私、かわいいものが大好きなの~」と
バカでっかいワニのぬいぐるみを抱きしめた。
ブスがうざ~
そうやって、一日を過ごし、さぁ、帰ろう、という時に、
私に気がある(と思われる)男の子がいない。
しばらくすると、彼は、私が抱きしめていた、
バカでっかいワニのぬいぐるみを抱えてやってきた。
そして、ぶっきらぼうに、そのぬいぐるみを私に放り投げ、
そのまま何も言わず、車に乗り込んでしまった。
他のみんなは、たちまち、冷やかしだした。
私は、体をくねくねさせながら、
「この子の名前、何がいいかな~」
と甘えた声をだした。
ワニ
その日の夜、みんなで花火をした。
次から次へと色や形を変えていく、花火を見ながら、私は、人生で初めて、
「甘酸っぱい」という感覚を感じていた。
その頃、テレビでやっていた「男女7人物語」のひとりになったような気分だった。
見かけは「今くるよ」なのに、心に中では「大竹しのぶ」になっていた。
そのうちあんなにあった花火がなくなって、線香花火だけが残った。
皆で、線香花火を一つずつ持って、輪を作り、かかんだ。
線香花火が小さくチカチカ光りだした。
本当に静かだった。
誰も何も話さず、ただ、線香花火の光を見ていた。
みんな、この瞬間、静かさ、若さ、を感じていた。
その時、
ぷ~~~~~~
私のおならが、静寂を、青春を、すべてを崩した。
その後は、みんな、大爆笑!
私は、狂ったように叫び、家の中に駆け込んだ。
泣いてわめいてる私を、みんな
「ジャスミンの香がしたよ」
「天皇陛下だって、おならはするんだよ」
などと、慰めて?くれた。
いや、傷をひろげてくれた。
もう、人生・・・終わった。
恋?・・・そんなもん、もちろん飛び散った。
その後、買ってもらったバカでかいワニのぬいぐるみは、
「屁っくん」と名付けられた。
先生の話してくれた「恥ずかしい話」は、こんなもんじゃなかった。
先生が高校生の時の話だ。
その時、ジーンズに穴を開けて穿く、というのが流行っていた。
先生は、洗濯が嫌いで、ある日とうとう、きれいが下着がなくなってしまい、
仕方なく、下着をつけず、ジーンズを穿いて、学校に行った。
その日の授業は、「ウーマンリブ」についてのディベートで、
男女別れて、向き合って座り、意見をぶつけ合った。
先生も時々、立ち上がるほど積極的に参加して、白熱した議論をしあったそうだ。
それから、家に帰ってきて、ジーンズを見たら、
なんと股に大きな穴が開いていた!
ジーンズには、穴がいっぱいあったので、朝は見落としてしまったらしい。
さすが、アメリカ女性!
「ウーマンリブ」を身の持って表現した!
ということか?
議論も白熱するわな。
現在の自分の感想・・・
「男女7人物語」だってー!
もう、古典の世界でしょう。
「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」でしょー
ってなんのこっちゃ。
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ババア、身の程知らずに、タバコについて、文句を言う
今回は、現在の私の感想から・・・
この時は、本当に傲慢だったと思う。
幾多の依存症、そして、鬱で苦しんで、今は、
タバコを吸う人にも、
お酒を飲む人にも、
クスリをやる人にも、
全部寛容です。
やめられない弱い人、すべてが愛おしいくらいです。(オゲェ)
さて、傲慢な文章の始まりです。
私は、何が嫌いって、タバコのにおいほど嫌いなものはない。
家族にタバコを吸う人がいなかったせいか、タバコのにおいに敏感になってしまった。
学校から帰ってきて、家に一歩入ったとたん、
「今日、お客さん来たでしょう?」
と、その異臭に気づき、外へ飛び出してしまうほど、
タバコのにおいが苦手だった。
中国にいた頃は、本当に大変だった。
上海の南京路というところは、人でごったがえしているのだが、
そこで、くわえタバコをしている人は、本当に多かった。
後ろから、頭に煙を吹きかけられ、
エクトプラズム登場!なんて毎度のこと。
すれ違う人の手にあるタバコが
私の手に押さえつけらる、いきなり、根性焼き!
なんてことも何度が起きた。
いつも、怒りのマグマ爆発!大土石流!だった。
打つぞ!ごらぁ~
「東方航空」を上海と東京の行き来に使った。
なんといっても、この航空会社は、安い!
しかし、禁煙席を取っても、まわりは、喫煙者ばかりだった。
日本へ集団就職に行くと思われる団体に囲まれた。
もう、何十人という人がスパッスパーとタバコを吸う。
私の周りはもう霧の摩周湖。(見たことないけど)
スチュワーデスに
「ここは、禁煙席なのだから、タバコを止めるように言って」
と頼んだ。
スチュワーデスが注意しても誰もやめない。
「なんで、俺だけやめなくちゃいけないんだよ。」
「みんな吸っているじゃないか」
と、誰も聞く耳をもたない。
再三、再四、スチュワーデスに
「お願い、やめさせて。ここは、禁煙席なんだよ!」
と頼んでいたら、
「私は、言ったの!でもやめないの!」
と私が怒られてしまった。
四面楚歌。
雲の上にいるはずなのに、雲の中。
においもものすごい。
頭痛がしてきた。吐きそう。
そんな悪夢の3時間のフライトでした。
中国では、鉄道の旅でも、タバコで苦労した。
数十時間、時には一晩、二晩を、電車の中で過ごす。
長時間、タバコの煙に包まれるのは、辛い。
ある時、もう耐えきれず。
「ゴホッ、ゴホッ。ごめんなさい・・・」
「私、去年、肺の手術をしたの・・・」
「い、息ができない・・・く、苦しい・・・」
と迫真の演技をした。
これが効果てきめん!
それ以後、ヘビーな喫煙者が回りにいるときは、この手を使うことにした
書いても書いてもキリがないほど、
タバコには、恨みつらみでいっぱいだ。
「ごめんさい。タバコアレルギーなんです。」
と控えめに、申し訳なさそうに言っても
「神経質」
「ヒステリー女」扱い。
もう、ガンになって、化けて出てやるしか、方法は、ないのか!
しかし、そんな辛い歴史が、アメリカに来て、終止符が打たれた。
タバコを吸う人の少ないこと。
喫煙者に対しての、マナーの厳しいこと。
本当、生きていてよかった。
現在のババアの感想2・・・
いや~時代だな~
「スチュワーデス」じゃなくて、
「客室乗務員」と、言いなさい!
って、そこかい!
そうでなく・・・
世の中、喫煙者にきびしくなったよね~
今じゃ、喫煙者の人に対して、同情的になっています。
こんなに喫煙者が迫害されるようになるとは・・・
私みたいな人が、いっぱいいたんだろうな。
人形でいるのも悪くないな・・・
メシマズのババア、アメリカ人を「味音痴」とDisる。
やはり、「食はアジア」だと思ってしまう。
アジアの料理は、オーケストラのよう。
甘味、苦味、辛味、酸味、塩味、そして、
肉、野菜、香辛料、それぞれが
絶妙に入り混じって、
最高のうまみを引き出す。
常に新しい側面を見せてくれ、
「味の流れは絶えずして、その味はもとの味にならず」
なのである。
それに比べ、西洋の料理は、独奏である。
甘いなら甘い道を・・・
チーズならチーズ・・・
バターならバター・・・
とことん一本の道を追求していく。
「頑固おやじ」のようである。
又、「大きいが正義!」
バターでもチーズでもクリームでも肉でもケーキでも
「塊」で行こう!
という、この豪快さも「おやじ」を感じさせる。
昔、丸大ハムのCMで、父親と息子がキャンプをしている、というのがあった。
父親が息子に分厚く切ったハムを渡し、
「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」
というフレーズが入るのだ。
私にとって、何がショックって、そのハムの厚さだ!
我が家にとって、ハムというのは、向こうが透けてみえるくらい、薄いものだったのに。
しかし、それは、もう私の知るハムではない。
肉の塊だ。
ハムというものは、そんなに厚く切って、うまいのであろうか?
たくましく育ってほしい
しかし、アメリカに来て、あんなハムの厚さは、子供だましみたいなものだと知った。
こっちでの「thin cut」は、日本のステーキ並み。
私は、肉はやはり、
「向こうが透けて見える、儚い、大和撫子」の方が
「肉感あふれる、セクシーアメリカン美女」
より好みだなぁ。
って、誰もそんなこと聞いてないか・・・
それと反比例して、食パンが薄い!
食パンの種類は、山ほどあるのに、パンの厚さはみんな一緒。
そして、おいしいパンに出会えない。
山崎のダブルソフトが恋しい。
愚痴は続く
ついでにチーズもいまいち・・・
パスタのもサラダにもチーズを山ほどかける。
本当に、アメリカ人はチーズが大好きだ。
ある時、みんなで、丸チーズの一口サイズを食べていた。
私は、
「あいからわず、味気なく、パサパサしているなぁ~」
と思いながら、食べていた。
そうしたら、みんなが一斉に、私を見てさけんだ。
「あぁ~、Micchieeがワックスも食べちゃった。」
これって、チーズをワックスで包んであったのね。
ワックスを剥がして、チーズを食べた。
う~ん、チーズもワックスも、そんなに変わらん。
今日も
「Picky」(好き嫌いが激しい)
と非難を背に、
ピザもハンバーガーに、目もくれず、
心許せるアジア料理を求めている。
「頑固おやじ」みたいなのは、私の方か。
現在のババアの感想・・・
メシマズが、よくこんな文を書いたもんだな。
身の程知らずもいいとこでしょう。
今となれば、どんな食べ物でも、食べれるだけで、有難い。
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デブの「ダサ井イモ子」の悲惨な試着室
私は、田舎県田舎村、出身である。
服を売っている八百屋に行くのでさえ、車で一時間、
ともなれば、
誰が「ファッショナブル」なんぞに成り得ようか・・・
小学校の時、
「特売品って何ですか?」
という生徒の質問に、先生が
「Micchieeさんが着ているようなTシャツのことです。」
と言われて時から、私の
「ダサ井イモ子」
の人生は、始まった。
あれは、18歳の夏だった。
私のジーンズは、当然、ゴム入りのものだった。
ある日、友達に
「ゴム入りのジーンズを穿くようなセンスには、なりたくない。」
「私は、Levi’s が好き」
「Somethingは、女の子のジーンズよね」
と言われた。
言っている意味は、よくわからなかったが、
彼女には、行きつけのジーンズ専門店があるというので、
そこへ連れて行ってもらった。
狭いお店には、ジーンズが所狭しと並んでいた。
ほとんどのジーンズが7000~8000円はする。
(ほへ~。アメリカ製って、お高いのね・・・)
(私、行きつけの西友とは、大違いだ・・・)
超ショートヘアの発育不全みたいなほっそい店員が
慇懃無礼に対応してくる。
「お客様のサイズはいくつですか?」
えっ、サイズって、いっても、
20とか30とか、わけわからん。
「これは、インチですよ。」
インチ!? 何、それ? おいしいの?
「ちょっと・・・サイズわからないのですが・・・」
不覚にも声がかすれてしまった。
店員は、鼻をフンッと鳴らし、
おもいっきり下の方にある
ジーンズを引っ張り出した。
「お客様なら・・・これくらいかな・・・」
一番サイズがでかいやつだ!
横の友達は、私より数インチ、細いジーンズを選んで、見ている。
「お客様は、どのようなスタイルがお好きですか?」
えっ、スタイルって、何のこと?
「あっ、あの、なるべく細く見えるようなものを・・・」
く~、なんでこんなバカな答え方をしてしまったのだろう・・・
店員は、今度は、冷笑を浮かべ、
「でしたら、これですね。」
と選んでくれた。
うへ~
そして、試着室へ・・・
穿いてみる・・・
えっ、入らない!
ちょっと、どういうこと!
ハネてみる。ハネてみる。
あ~、ダメだ! 脱ごう!
待って!今度は、脱げない!
「お客さま~、いかがですか?」
外から、店員が声をかけてくる。
「あっ、ちょっと、待ってください」
ともかく、脱ごう!
尻で突っかかる!
太ももでも、張り付いて取れない!
ふくらはぎからさえも、剥ぎ取れない!
これって、どういうこと!
悪戦苦闘している中、
店員が何度も声をかけてくる。
「お客様~、いかがでしょう?」
(西友じゃ、店員が試着室に、声なんてかけてこないのに!)
「う~ん、ちょっと、思ったのと違うかな~」
「待ってくださいね~」
やっと、脱げた。
靴下も脱げたが。
脱げたジーンズは、すべて裏返しになり、
脱皮した蛇の皮のように、おぞましい状態だった。
店員が、又もや、聞いてくる。
「お客様~、どうですか~」
(もう、絶対、これ嫌がらせでしょ!)
「やっぱり、これ好みじゃないですね。」
(やっと、上手に答えられた!)
汗だくになって、
「私、今日は、買うのやめます。」
と、たたんだジーンズを
天敵、ガリガリ店員に返した。
友達は、2着買った。
どっちも1万円以上するものだった。
そして、丈がめちゃくちゃ長くて、思い切り、切ってもらっていた。
「アメリカ製ですからね~」
その大量の布地、横に回せよ!
店を出て、夕日を見た。
アメリカ本場のジーンズって、やせないと穿けないんだ~。
しかもものすごく高いものなんだな~。
遠いぜ。ヤンキー。
が、あの体験はなんだったんだ!
アメリカでは、Levi’sだって、何だって、
サイズ、無限にあるぞ!
しかもメチャクチャ安い!
しかも、アメリカでは、「ゴム入りジーンズ」に市民権だってある。
(あの日の汗と涙を返せ!)
やったー!
これぞ、ヤンキー!
(よくわからないけど)
現在のババアの感想・・・
ババア、もうジーンズなんて穿かないぞ。
思い切り伸びるレギンス、一択。
もちろん、股ずれで、穴だらけです。
<
おもしろ日記ランキングp>
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人形にままでいるのも悪くないな
デブの国、アメリカの不思議なダイエット
デブで、屈辱的な人生を、長年送っていた私。
今、肥満体国、アメリカにいて、故郷の川に帰ってきた鮭のような、心地よさに包まれている。
それにしても、多くのアメリカ人、
よく食べる!
よく肥えている!
本当、嬉しー、楽しー!
青春時代、細い友達にもっと食わせやろう、
デブ地獄に道連れにしてやろう、
としていた悪魔のような私は、ここには必要ない。
本当、細いやつって、苛つく。
一枚のポテトチップスに5口もかけやがって!
私なんか、1袋、20口で、食べれるぞ!
まぁ、自慢にならないのだが・・・
本当に長い間、体重との闘いだった。
新聞広告の
「私はこれでやせた!」
的なものは、無言のうちに私に回されてくる。
「デブはよく食うだろう」
と残り物は持たされる。
まぁ、結局食べてしまうんだけどね。
悲しー!
スカートのベルト芯は、腹の肉に圧迫され、半分の折れ曲がり、
ズボン、ガードルは、股ずれによって、穴だらけ。
こんな私の人生に
ダイエット!
の文字がなかったことはない!
卵、りんご、グループフルーツ、お酢、お米、
はたまた、
キトサン、カプサイシン、ガルシア、
いっぱい試してきた。
特に、
「肥満大国アメリカで、今最も売れている、○○○」
これ系には、手を出さずにいられなかった。
がんばれ~
しかしだ!
今、アメリカに来て、発見!
アメリカのダイエットはおかしいぞ!
なんでも「Fat Free 」にばかりこだわるのだ。
- ビール Fat Free !
- ハードキャンディー Fat Free !
いや、これって、わざわざ強調しなくても、当たり前なのでは?
牛乳のFatなんて、そんなに気にしなくては、いけないものなの?
日本じゃ逆で、
3.6牛乳が求められているような・・・
ちなみに私はFat Free 牛乳は、嫌いだ。
こんなのお米のとぎ汁と交換しておいても、誰も気づかないぞ。
甘ーいお菓子の塊を食べながら
「大丈夫!Low Fatだから」
って、そういう問題じゃないような・・・
「肥満大国アメリカで、今最も売れている、○○○」
を長年信じてきて、お金をつぎ込んでしまった。
でも、こいつら、言っていること大丈夫か?
「○○○で痩せらるなら、そもそもこんなに、アメリカ
で、デブがあふれるわけないだろー」
と遅まきながら、ツッコミが入れられるようになった。
これを進歩というのね。
現在の私の感想・・・
糖尿になってわかったこと。
注意しなくてはいけないものは、脂質ではなく、糖分です!
しかし、そもそも太っている一番の原因は、その人間性なのじゃー!
怠惰で、意志が弱くて、怠けもの!
(大事なことなので2回言いました)
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デブスが叫ぶ!デブの国、アメリカ万歳!
まだ、私がアメリカに来るずっと前、父がアメリカ旅行に行った。
その旅行から帰ってきた、父の第一声は、
「俺は、アメリカじゃ、ちっともデブじゃなかったぞ」
だった。
ウエストが1メートルもあり、すぐ、ズボンの股に穴を開けてしまう屈辱が晴
れたのであろう。
父のお土産話は、グランドキャニオンでもなく、ラスベガスでもなく、
いかにアメリカ人がデブであるか・・・に尽きていた。
私もアメリカにやってきて・・・
あの時の父の歓喜がよくわかる。
日本にいた時、
「デブに人権はあるのだろうか?」
と真剣?に考えたことがある。
なんといっても問題はデブにつけられるあだ名だ!(本当か?)
- 目の細いデブ=朝潮
- 目の大きいデブ=小錦
デブには、このふたつのあだ名しかない!
もっと、デブだって、個性にあふれているんだよ!
そして、なんといっても・・・
日本で服を買うときの、あの屈辱感・・・
MとL しかなく、Lが入らない!
「人間失格」と言われんばかり・・・
冷たい地の底に落ちてしまったような閉塞感・・・
洋梨どころか、フラスコみたいな体系の私。
なによりも辛いのがズボンを探すこと。
中国の雑技団に、オッサンが2~3歳の女の子の服を着てみせる、という
笑えるというより、なんか悲しくなる芸があるのだが、
日本の試着室での私は、まさにこれ!
あのオッサン、華やかな雑技団の芸が披露されている中で、
「自分は何をやっているんだろう」
と悲しくなる時もあるだろう。
試着室の私もいつも悲しい。
体を限界まで曲げて、
息を殺して、
肉を押し込める。
あぁ苦しい~。服が破れそう~。
そして、苦難の末、やっと着れたとしても、
鏡に映っているのは、ものすごく滑稽な姿をした自分。
苦労した達成感などなく、
地の底に落ちていくような敗北感。
着たはいいが、果たして、無事に脱ぐことはできるのか?
ズボンを買おうとするたびに繰り返される、この拷問・・・
それがここアメリカでは、サイズがず~と先まである。
開けた未来!
ワァ~オ!XL, XXL, XXXL,この素晴らしいXは、どこまで続くの!
続いていくXの地平線を見ながら、
夏休みの初日を思い出す。
「あぁ、まだ1カ月も休みがあるんだ~」
なんとも言えない幸福感。
そう、これを人は「ゆとり」と呼ぶのね。
そして、私が選ぶのは、なんと!M!
私は、アメリカでは、M サイズなのですよ~!
「やだぁ、私 M~!」
と周りの見せびらかしながら?買う私。
アメリカ!大好き!私に「人権」を与えてくれて、ありがとう!
しかし、服は買えたが、
アメリカにいても、やはり
「おまえはデブだ!」
「人間失格だ!」
と思い知られる時がある。
それは、大学で用意されている学生用のデスクが
椅子と小さい机がくっついたものだからだ。
これは窮屈だろう!
私は入れるが(ここ強調!)
中には、入れない人もいるだろう。
また、アミューズメントパークなどにある、
バーが着いた入口。
人がひとり入るたびにバーが動くあれ。
友達は、
「横を向けば、いいんだよ」
というが、
横だろうが、縦だろうが、太さは変わらないんだよー!
私はもちろん入れるが(再度、強調!)
あれは、絶対、デブに意地悪をしているだろう!
それにしても、アメリカは天国!
どんなぽっちゃりも
腕を出し、
足を出し、
へそも出す!
すごいぞ!すごすぎるぞ!
デブの楽園、アメリカに万歳!
今の私の感想・・・
このエッセイの一番の目玉はなんといっても、
目の細いデブ=朝潮
でしょう。ここ今だったら、絶対
目の細いデブ=朝青龍
でしょう。やはり、時代を感じるね~。
って、そこかよ!
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夏休み、トレックアメリカで行く、アメリカ縦断の旅 2
トレックアメリカでは、
それぞれの係を決め、
助け合うシステムを使っている。
例えば、
- 荷物をバンの上に上げたり、下したり、する係。
- 買い物係。
- 料理、片付け係。
なのだ。
料理、片付け係は、三人一組で、
三日間料理、三日間休み、三日間片付けという、ローテンションだった。
私は、ドイツ、デンマークのギャルズと同じグループで、
この係になった。
ある時、イタリアの男の子が、
「本場の人が作ったパスタを食べたい。」
と皆に言われて作った。
彼はパスタを茹でて、その上にオイルを少しかけた。
そうしたら、ドイツの女の子が、わめきだした。
「信じられない!それがイタリアのやり方なの!」
彼女がイタリアの子を罵倒する理由がちっともわからない。
私は、パスタのことなど、ちっとも知らない、
アジアの小島から来たが、
茹でたパスタにオイルをかけるぞ。
そうしないと、みんなくっついてしまうのでは、ないのか?
そんな彼女らと料理を一緒い作るのは不安だった。
Let's cook !
第一日目。
私たちは、カレーを作ることになった。
カレーは、アウトドアの定番
「楽勝でしょう」
と作り始めた。
私は野菜を切るのを、二人に指示したりした。
ドイツの子がまた、わめきだした。
「あなたは、ちゃんと作り方を見ながら、作っているの!?」
「水はもっと足したほうがいいんじゃないの!?」
カレーだぞ。
作り方なんか、いちいち見る必要あるか?
ともかく、私を信用しないで、ぴーちく・ぱーちく、うるさい!
「私はカレーを100回作ったことがあるから、大丈夫」
と答えた。そうしたら
「あなたがわかっているのならいいわ。」
「私たちふたりはごはんを炊くから、あなたがカレーをつくって。」
と言い出した。
それは、少し不公平ではないか、と思ったけど、
大口をたたいた手前、仕方ない。
承知した。
Let's cook !
私のカレーは、問題なくできた。
でもごはんは、ひどかった!
べちょべちょなのに、芯がある。
食べれたもんじゃなかった。
シチューみたいにしゅっちゅうかき混ぜていたから、嫌な予感はしていたが・・・
ここまでひどいとは・・・
ごはんというものは、そんなに作るのが難しいのかと、
皆でコメの袋の後ろに書いてある作り方を読んだ。
「One cup water, One cup rice」
一体、これのどこが間違えようがあるのだ?
せっかかのカレーも、ごはんなしで、みんなの満足を得ることはできなかった。
二日目。
今度は、カレーより、もっと簡単な照り焼きチキンを作ることになった。
今度は、私がごはん当番になった。
「One cup water, One cup rice」
説明どうり、計った。
そうしたら、またまた、ドイツの子がくってかかってきた。
「あなた、昨日のことおぼえていないの!」
「あんなに硬かったでしょ。水をいれなさいよ!」
いや、「昨日のこと」って。
間違えたの、お前だから。
あれだけ昨日間違えたら、普通、もう引き下がって、人にまかせるでしょうが!
そう言いたいのをぐっとこらえて、
「昨日は、適量の水と、適量のコメじゃなかったから、いけなかったの。」
「今日はしっかり計ってやるから。」
と言うと、
「違うわ!もっと水を入れて!」
ここは、昨日の作戦でいこうと
「私は、ごはんを1000回炊いたことがあるから、大丈夫!」
と言った。しかし彼女はひるまない。
「私だって、そうよ!」
うそつけー。
昨日のような恐ろしいものを作っておいて、よく言うわ。
しかし、彼女に押し切らてしまった。
「もっと、これくらい水入れて」
涙をのんで、彼女のいう、半分の量を水を足した。
彼女は不満そうだったが、私は泣きそうだった。
時間がかなりたっても、水は全然減らなかった。
でも彼女らは
「ほらお米、もう柔らかいわ」
と喜んでいるではないか!
そして
「できあがり♡」
とざるにごはんをザザーとあげ、お湯をザバーサバーと切った。
それは、めまいを起こしそうな光景だった。
できたごはんは、べちょべちょだったが、芯はなかった。
もう~、イヤ~!
夕飯になった。
みんなそのごはんを食べて
「Excellent!」
「Perfect!」
と言うではないか!
いや、これのどこが!
これは、お米に対する冒とくだろ!
ここに、せめて、日本人、いや、アジア人の一人でもいてくれたら、
私のこの気持ちをわかってくれただろうに。
私は空を仰いだ。
そりゃ、ないよ~
現在の私の感想・・・
そうか、そんなこともあったなぁ。
この時のババアは、それでも他人とコミュニケーションが取れていたんだな。
今は、テンションを何オクターブも上げないと、他人と会話できない。
そうすると、相手も疲れる。
ババアはもっと疲れる。死にたくなるほどに。
「面白かったかも?」とおもってくださったら、
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